ホームページ製作の人のつぶやき

そろそろ本気出すと決めたんだ

2021年05月

山梨県南都留郡富士河口湖にある貸別荘「せつう」について、実体験をもとに「せつう」の魅力をご紹介します。

〇事前情報:
 ・宿泊人数:6人
  男性:5人(20代後半が4人と3歳児が1人)
  女性:1人(20代後半)
 ・利用時期:11月中旬ごろ
 ・利用目的:大学の友人と遊ぶため

◆せつうの魅力
 「せつう」は様々な良い点がありますが、私が特に感じた「せつう」の魅力は以下の3つです。
   1.何でもそろっている
   2.広くて綺麗
   3.景色が最高
  順を追って説明します。
  ・1.何でもそろっている
  貸別荘ということもあり、一通りの調理器具はもちろんそろっており、それに加えて、
  「食洗器」や「大きな冷蔵庫」「テレビ」などなど数日住んでいられるような家具家電が
  おいてあります。その中でも一番のおすすめポイントは、食材さえ買っていけば、
  『テラスでBBQができること』と『部屋で鍋ができること』です。
  晴れていればテラスにて「BBQ」ができ、生憎天気に恵まれなくても部屋で「鍋」が
  できるため、天気に左右されずに楽しむことができる点が、
  非常に魅力的な部分だと感じました。
 ・2.広くて綺麗
  「せつう」の構造は2階建ての3LDKです。
  1階にリビング、ダイニング、キッチン、お風呂、トイレがあり、
  2階に3部屋とトイレがあります。
  1部屋につきベッドが2つおいてあり、部屋の大きさは、一般的なビジネスホテルの
  ツイン用の部屋程度です。また、各部屋にテレビはなく、寝るだけのための部屋という
  印象でした。(扉はしっかりついています)
  浴槽は足が伸ばせるほどの大きさはあり、シャワーの強さなどもちょうどよかったです。
  キッチンはアイランドキッチンで、IHでした。調理器具は上記に記載した通り、
  箸やお皿はもちろんのこと、包丁やまな板、ざる、鍋、おたまやさいばしに至るまで、
  家庭料理ができる程の道具がそろっています。
  リビングには大きくて柔らかいソファーがおいてあり、壁にはテレビも設置されています。
  そして、どの部屋も、お風呂もトイレもリビングもキッチンも、果てはテラスや玄関さえも、
  とにかく綺麗でした。
  重要なのでもう一度言います。本当に綺麗でした。
  これだけ広く、なおかつ綺麗な宿泊施設なので、小さいお子さんがいるご家族でも
  安心して利用できる点がおすすめポイントです。
 ・3.景色が最高
  河口湖湖畔がすぐそこにあり、部屋から望む富士山は絶景の一言に尽きます。
  朝日を浴びながら、ゆっくりとした静かな朝を迎えるのも「せつう」ならではかと思います。
  ぜひ、その身で味わってほしいと思います。

◆せつうを利用する上での注意点
 調味料はおいてありませんので、料理をする際は調味料をご持参ください。

私は1泊しか利用できませんでしたが、機会があればぜひもう一度利用したいと思っています。一度利用したらリピート必須です。そんな良いところ尽くしの「せつう」の魅力を少しでもお伝えできれば幸いです。河口湖周辺に泊まる際は、ぜひご一考ください

母が先月3月11日に、息を引き取りました。
4、5年前に悪性リンパ腫で、入退院を繰り返し、少し弱っていたのですが、自宅療養、老健施設入所などを経て、安らかに永眠しました。享年88才。わりと長生きもしました。
最初、亡くなったとの急報を受け、急いで病院に駆けつけ、最初に母の遺体を見たとき、一瞬たじろいでちょっとショックを受けたのですが、すぐ、母のわりと安らかそうな眠る顔をみて、ショックでもありませんでした。思ったのは、安らかに逝ってくれたようで、だいたい幸せな人生だったんではないかなということです。
母は、昭和7年富山県の生まれで、田舎の農家の旧家の出でした。母の父親は、農協の長を歴任した人でした。若い頃は農作業をやったことがないようなことを言っていました。旧家のお嬢様っぽいところもあったかもしれません。わりと近くの村の、農家の父(父は十数年前に死去)とお見合いで結婚して、つまり農家に嫁いで農作業に追われるようになったようです。農作業は結構たいへんな仕事で、かなり大変だったようです。二人の子ども(姉とわたし)に恵まれても、かなりつらい仕事の連続だったようです。
父の発案で、農業を自分の弟に引き継ぎ、大阪に引っ越しをして、お菓子屋の商売を始めるということになりました。
母の仕事としては、重労働の農作業から解放されて、お菓子屋のお母さんになったわけです。わたしが小学校3年生9才の時でした。
田舎の農家から、大阪市内のお菓子屋さんと、かなり思い切った決断をしたものだと思います。
慣れない仕事ながらも、それなりに慣れていったのだと思います。わたしは、小学校、中学校、高校と大阪の学校に通わせてもらいました。平穏無事な日々だったと思います。
わたしは高校を出ると、東京の大学を志望して、浪人の末、東京の某大学に入り、卒業しました。月々の仕送りも多くはありませんでしたが、そんなに豊かではない生活から、仕送りしてくれました。大学を卒業して、最初の就職も東京でして、しばらく2~3年ほどを東京で暮らしました。
仕事は編集の仕事でよかったのですが、人間関係等があまりうまくいかず、結局、実家のある大阪に戻ることになりました。
大阪でも編集の仕事をと、思っていたのですが、大阪では編集の仕事はあまりなく(出版界は東京一極集中です)、編集以外の仕事も含め幅広く探すことになりました。測量コンサルタントの土地区画整理の事務の仕事をしたり、重機械工業の営業の仕事をしたりもしました。
それらの転職の多い息子の生活も、母は見守ってくれていました。
実家から仕事に通っていたので、食べることには困りません。家にいくらかのお金を入れて暮らしていました。両親にはたいへんお世話になりました。
わたしが結婚して(お見合いで)、別宅に暮らすことになって、すこし肩の荷が下りたと思いますが、わたしの転職生活は終わりませんでした。
わたしの望む編集の仕事では、なかなか食べていくには難しく、かと言って、編集以外の仕事では不満が出てきて辞めることになり、生活が安定しませんでした。(女房は勤めていて、共稼ぎでしたが・・)
結局、離婚することになり(ちいさな娘とも別れることになり、少しつらいものではありました)、
わたしは独居生活の逆戻りです

それら、わたしの変転する社会生活にも、なにかグチを漏らすといったこともなく、見守ってくれたのが母だと思います。
母は私のことで、心配はあっただろうとは思いますが、比較的おおらかでした。
母が、先に言った悪性リンパ腫で病床に就くまでは、わたしはたいへんお世話になりました。
母が病の床に就いてからは、わたしの方がお世話することになりました。(姉とともにお世話する側になりました)
母が亡くなる前日、私がお見舞いにいったとき、小さな声でもハッキリと「長いあいだお世話になりました。ありがとう。」と言ってくれました。お互いさまかな、とも思いましたが、それが最後の会話らしい会話だったと思います。それが、すこしでもの慰めです。
不肖の息子ではありましたが、大したお世話もできませんでしたが、静かに、でも、あまりにあっけなく逝ってしまいました。
わたしも言いたいです、「ありがとう」と。

私は東京在住の一般的な会社員です。世界中で大流行している新型コロナウィルスですが一年たってもその脅威は収まりそうにありません。東京都心部に出勤するのですがいまだに電車は混んでいますし、夜遅くまで飲んでいることをニュースで見たり退社帰りに見かけたりします。日本国内でこの状況ですが他の国を見ると死者数がいまだに数万人単位出なくなっていますし、ヨーロッパでは完全にロックダウンして外出禁止になる国もあります。世界中で流行していて死者数も多いこの現状を一人一人はもっと目を向けて考えるべきだと思います。

私は日本に住んでいるので日本の現状を見ると悲しくなってしまいます。
都道府県で見ていると東北地動では陽性反応が出てホテル療養をされている40代男性は途中で抜け出して居酒屋へ行って飲み歩いています。50代男性は逃げ出して自宅に帰って普通に外に出て遊んでいたそうです。
一方関西方面では東京に比べると早い段階で緊急事態宣言が解除されて営業時間が9時まで伸びて再開しましたがわずか二週間くら行った頃に感染が拡大。昨日から蔓延防止措置を講じて経過を見ていく流れになっています。

ここまであくまで国民が自主的に感染症防止を行なってきた状態で感染を抑えている状態。ここからは行政、政府の頑張りでひとり一人の命を守っていかなければいけなくなります。私の周りでももう我慢の限界だと行ってどんどん外食をしたり都道府県をまたいだ外出をしているそうです。時間がなくなってきています。ここからまた1年間コロナウイルスと共存しなければいけません。新学期位も、夏休みも新入社員の式典も楽しめない状況が続くとストレスが溜まっていつか爆発してしまいます。

国外に目を向けるとアメリカではワクチン接収が進み人口の70%が一回以上を打っているそうです。ヨーロッパでも同様にワクチン摂取が進み経済再開に少しづつ始まってきています。一方ではミャンマーでは国軍の横暴な行いで国民が亡くなるニュースがありますが毎日数人のしかも若い子供たちまで巻き込まれて亡くなってしまっています。こんな時になんで争いが起こっているのか私にはとても理解できません。なぜ若い子供たちが命を落とさなければいけないかわかりません。新疆ウイグル族の人権弾圧も同じく世界中の誰であって個人は尊重されなけれいけないと思います。それが法律で定めらていますしそれを破るようなことはあってはいけないと思います。

国内、国外であっても一人一人の命は平等です。今こそみんなで協力しあってコロナウイルスと上手に付き合っていく必要があると思います。世界中で協力することが当たり前になればもっと人に優しくできるとはずです。肌の色で差別なんてことなくなると本気で思っている私は、困っている人を見かけたら手を差し伸べるようにしています。今できることをみんながやるべきことを理解して考えて行動して周りに広めていきたいと思います。


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